月は戒史からデータディスクを受け取ると、左手首の内側に押し込んだ。人工の差込口が、滑らかに異物を受け取る。 かちり、とディスクが己の身の内に収まった事を確認し、月は目を閉じた。 黒に染まる視界。 一瞬後、そのスクリーンに相当量の情報が表示される。 月の脳裏には、丁度四十の名前と顔が並んでいた。 「新顔が多い」 「そりゃー月子ちゃんがー、この前のゲームで派手に活躍したからでしょー?」 戒史は、武器の詰まったバッグの中から無造作にひとつ掬い上げ、腰に差した。給水タンクを突き破って着地した時から足に違和感が残ると言っていたが、戒史の不平はいつものことなので月は気にしていない。 戒史が愛用しているのは、回転式拳銃M9<キダム>だ。製造は既に中止になっている。 軽量型の、いつでも何処かに隠しておける、そしていつでも誰かの何処かを撃ち抜ける、金属の塊。 「砺波の奴らってさー、なーんか粘着質だよねー」 「若槻も同じだ──」 戒史と月が国民登録している若槻市は、隣国である砺波市と既に十一年に渡る小競り合いを続けている。 若槻と砺波は元は東教(Tokyo)という一つの国だった。しかし宗教上の理由から分裂──それが十一年前で、つまり生まれたときから二国は争っている。 分裂の原因である砺波の国教は、いわゆる救世主設定型の宗教だ。一般に、『使教』と呼ばれている。 使教における救世主は、『天使』である。 穢れた大地に降りたち、敬虔な信者を救う。あるいは、信仰の果てに選ばれた者自身が天使と化す。 その結果、砺波では現在も、『天使の選別』と称して階級制が維持されている。 『使教』は、若槻の人々にとっては妄想の一言で、その価値観の違いが今なお争いの種だった。 「──ヒラタが結局壁を壊した事を考えればな」 「アイツマジで考えナシだよねー、修理するのー、誰だと思ってるのさー」 「お前がやってくれるのか?なら、業者に頼むのは止めておこう」 以前使っていた旧型の『眼』を探り当てたか、戒史はそれをジーンズのポケットに落とし込んだ。 ぞんざいな扱いを注意することもなく、月も自分の装備を整える。 機械化率の高い戒史は、顔面の半ばまで金属が侵食する異形をしているが、月はそれについて感想を述べたことはなかった。 今は、煩く悲鳴を上げるシェルター民も居ない。ただ、日の落ちてしまった暗い景色に、戒史の姿は埋没している。 黒いシャツに、黒いズボンに黒髪黒目。 右目の下に入れてある、『ディスク識別記号』すら黒である。黒い蝶のデザインだ。 翅を広げた蝶の上に、大きくアルファベットの『A』。間違いようもない。 いつだったか、『俺にはサーモンピンクは似合わないからさー』と言ったのを月は聞いた覚えがあった。別にピンクでなくとも、と思ったが『それならゴールドメタリック?』と真面目に訊き返してくるような気がしたので、月は黙っていた。 月は、戒史がサーモンピンクになろうがゴールドメタリックになろうが構わない。同様に、黒一色でもいい。 時間を確認したのか、戒史が顔を上げた。 1758時。戦争開始まで後二分。 戒史と月は現在、エリアB6、戦場の端に建てられた廃工場の二階に居る。 「──」 エリアに侵入した際、二人は砺波の『W/P』と鉢合わせした。だが、まだその時には戦争開始には二時間ほどあったので──お互い、何食わぬ顔をしてすれ違った。 表向きは。 けれど戒史の鋭敏な感覚は、三人に増えて追ってくる足音を捕らえていた。よって、1800時に間に合うように戦場を探した――それが此処である。 廃工場の周りは空き地に取り囲まれていて、少々派手に騒いでも問題ないと思われた。あくまでも、少々なら。 「何処から来る」 「……しょーめん、だねー」 勿論相手も、戒史が『ディスク:A』を装備していることを知っている。戒史相手に隠密行動は殆ど無意味だ。 相手にも『A』がいればこちらの位置は筒抜けだろう。今交わしている会話も、当然聞こえていることになる。 戦争開始まで後一分。 月は静かに銃を抜いた。 +++ +++ +++ ヒヅキ・N・和草(Hizuki・N・Nagusa)は薄暗い路地裏を歩いていた。 現在の時刻は1806時。 エリアB6は既に危険地帯になっていたが、半ば国に見離されている『外』では、情報周知が徹底されていなかった。 いつもの帰り道、有刺鉄線の向こうに広がる空き地の横に通りがかったとき――彼女は不運にも『戦争』に巻き込まれることになる。 そして、酷い男と出会うのだ。 とても酷い──男と。 |
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36℃の氷 |
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