「きゃああああああ!!」 悲鳴を聞き、戒史(Kaishi)と月(Yue)はため息をついた。伏せていた地面から潔く立ち上がり、相手の方を向く。 「……銃を捨てろ」 三人のうちで唯一残った男――『ディスク:A』を装備した砺波(Tonami)の『W/P』が、金髪の女を羽交い締めにし、そのこめかみに無骨な銃を突きつけている。 戒史は無造作に両手を広げて呆れのポーズを作った。 「民間人巻き込んじゃーダメっしょー?」 二人までは片付けた。その際、戒史は女の気配にも気付いていたのだが、気が付いていても手が放せない状況だった。 十五メートル程の距離。空き地。遮蔽物は無し。月の運動能力でも、掴みかかるより相手が引き金を引く方が早いだろう。 「撃つなよ。下手すりゃ反動でこいつの頭も吹っ飛ぶぞ……!」 わかりきったことを言う。戒史はまた溜息を吐いた。 しかし、相手の要求を呑み銃を捨てれば、その後どうなるかは明白である。 「どうするんだ?」 戒史の行動は解っているのだろうに、無表情に月が訊いてきた。 「……こーするよー」 戒史は腕を持ち合えげ、敵の眉間に真っ直ぐ銃を向けた。自然な手つきで。 当然のように行われたそれは、誰に制止される隙もない。 「なっ!?」 男が驚きの声を上げ、月が肩をすくめる。女は口と目を丸く見開いていた。 「ごめんねーおじょーさん」 戒史は気さくに、にっこりと笑った。 「さてー、そこのアンタ、素人さんっぽいから選択権をあげるー」 く、と口角をあげて、表情を皮肉げな笑みに変える。 「いちー。そのまま人質を解放せずに二人で死ぬ。にー。人質を解放して見逃して貰う。制限時間は三秒ねー」 「こ、この女はどうなってもいいのか?」 ヒステリックに男が叫ぶ。戒史は用意しておいた台詞を吐いた。 「……さあ、そういうんじゃーナイけどねー、俺にとっては結局二択なワケでしょー?アンタとおじょーさんが死ぬかー、俺と月が死ぬかだ。んじゃー俺はこっちを選ぶよ。後二秒ー。さーどーするー?」 今にも死にそうな魚のように、男は間抜けに口を開閉した。戒史は待たなかった。 「終わりー」 戒史が引き金を引く寸前、男が反射的に声を上げた。 「――待てっ!!わかった、この女は開放する……俺も降伏する、見逃してくれ」 「おっけー。んじゃ銃を捨ててー、おじょーさんをこちらに歩かせるよーに」 男は渋々銃を放り投げると、女を解放した。女は腰が抜けた様子で、その場に座り込む。 「んじゃー、逃げていーよー?」 男は二、三歩後ずさり、そのまま振り返って逃げだした。 その背中に戒史が声をかける。囁くように。 「……アンタさー、天使ってホンキで信じてるのー?」 『使教』信者の逆鱗に触れるその言葉。 聞き逃せなかったか、男が勢い良く振り向いた。 「当たり前っ……!!」 どんっ 言い終わらないうちに、戒史の銃が鳴り、激昂した表情のまま男は地面に倒れた。 雑草がみるみる血を吸い取っていく。眉間に一発。即死だった。 「ごめんねー。俺って基本的にー、スポーツマンシップにのっとらない殺し合いが好きでさー」 男は『A』だが、戒史の行動には全く気付かなかった。多分、戒史の呼吸や脈拍に、何の変化もなかったからだろう。気負いもなく、瞬きのように自然に引かれたトリガー。 完全に死んでいるだろう男に、戒史はもう一発銃弾を撃ち込んだ。 「!」 呆然とする女の顔や服にも鮮血が飛び、金髪を赤に染めあげる。 戒史はそれを見届けもしないまま、空薬莢を捨てて銃に新たな弾を込めた。安全装置も掛けずに、無造作にポケットに突っ込む。 「……あ……」 月は呆然とする女の腕を引っ張り、立ち上がらせた。 「大丈夫か」 「いや……っ!」 ばしんっ 自失していた女の顔に表情が戻る。 音高く月の腕を振り払うと、女は戒史に向かって叫んだ。 「あっ――アンタら、国家の犬ね!?人でなし!触らないで!」 染まった金髪を振り乱し、女は糾弾した。 月は黙ってその様子を見ている。戒史は無表情に女に視線を向けている。 「この、人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し―――」 女は狂乱状態で喚く。壊れたように、同じ単語を繰り返していることから察して、おそらく人が殺されるのを見たのは初めてなのだろう。 戒史は目を閉じ、周りの気配を探った。その首が縦に振られるのを確認して、月は女の腹に拳を叩き込んだ。 「人殺――」 空き地は、再び静寂に包まれた。 +++ +++ +++ 和草は頬を打つ水の感触に目を開けた。 自身が置かれている状況が判断できずに、二、三度瞬きをする。 「!」 脳の回路が繋がった瞬間、和草は飛び起きた。 目の前に、アイケアグラスをかけた白髪の美人(ただし人殺し)が片膝を立てて座っている。 「き――むぐっ」 悲鳴を上げようとした瞬間に、片手で口を押さえられる。 グラスでフィルターのかかった無表情なその瞳に、和草は身を震わせた。殺される? 「大声を出さないで欲しい」 女性にしてはかなり低い声に、和草は戸惑う。 和草の口を塞いだまま、白髪の麗人は指先を眼前に突き出して来た。 そのまま、指が滑らかに空をなぞる。 和草は訳も分からず、それを見つめた。──どうやら、字を書いているらしい。 (……『て』…『ん』…『し』…『を』……) たっぷり二分はかけて、彼女は文字を書き終わった。 『天使を信じるかと訊かれたら否定しろ』 訳が分からなかったが、取り合えず首を縦に振っておく。手を離して貰わないと息苦しくて仕方ない。 ――何を考えているのかは知らないが、ここは大人しく従っておくのが利口だろう。己の服に付着した赤黒い染みが、先程何があったかを鮮明に思い出させた。 口が自由になり、和草は大きく息をつく。 「貴女達は――」 「若槻の『W/P』だ」 「じゃ、じゃあ戦争中……?」 「そうだ。避難勧告は聞かなかったのか」 ある程度予想できた答だった。しかし、和草には自分が何故こんな所(床はコンクリートで、天井は罅割れて雨漏りがしている殺風景な部屋)に居なければならないのかがまだ理解できない。 「ここは……?」 「廃ビルの地下一階だ。先程の空き地からは、二キロメートル程度の距離にある」 「どうして」 ここに連れてきたの、と和草が問う前に、目の前の白髪美人はまた口を開いた。 「口封じをしなければならない」 +++ +++ +++ 戒史はビルの二階の窓際に腰掛けて、霧雨の降る外を観察していた。 月達の会話を聴こうと思えば聴けたが、そんな事をわざわざする意味も必要も、ない。 実際、戒史は何もしていなかった。 月には『警戒』兼『見回り』と言ってあるが、戒史は警戒していなかったし、辺りを見回ってもなかった。月もそんな事くらいはきっと承知しているのだろう。 左手首に開いている、直径1センチメートル程の差込口。そこから、『耳』のディスクだけを取り出し、ジーンズのポケットに放り込む。 そんな粗末な扱いでは、紛失する可能性が充分にあった。が、無くしても気にはしないだろう、と他人事のように推測する。 ディスクを外したのは、ただ単に雨音が煩かったから。 これで警戒態勢は穴があるどころか、穴など空く場所がない。何もないところに穴など開かない。 ふと空想した。心という物があるとして。穴が開き、穴が開き、そうしたら穴は穴でなくなるだろう。ならば、それで問題はない。 「暇だねー」 独り言が虚しいとは思わない。 例え答が返って来たとしても、自分が口に出した言葉と気持ちは変わらないからだ。 だとしたら、戒史にとって他人の存在意義はどこにあるのだろう? +++ +++ +++ 「ひ、」 「勘違いするな」 どう考えても配慮のない言葉を使っておきながら、彼女は言葉を続けた。 「俺達の事を口外しないで欲しいだけだ。投降した相手を処分した事をな」 「解ってる、わよ……だ、大丈夫だから」 頷きたくない気持ちもあった。何を言おうがこいつらはルールを、人道というルールを破ったからだ。 殺された男のためにも、少し反抗したい気分なのは確かだ──けれど、自分の命とを秤に掛ければ、どちらに傾くかは明白だった。 勝手に震えようとする声を無理矢理押さえつけて、和草は要求を切り出した。 「じゃあ……私は帰らせて貰うわね」 「ああ」 拍子抜けするほどあっさりと、彼女は許可を出した。 「ただ、一つ忠告しておこう」 「何を?」 「今、この建物から出た場合、お前の死亡確率は極端に跳ね上がる」 「!?」 普通でないことを、天気予報のように言う白髪麗人に、和草は立ち上がりかけた体勢のまま静止した。 「俺達は既に標的にされている。あれだけ騒いだからな」 「……も、もう一人は」 「見回りなどしていないだろうから、今、この瞬間に敵が雪崩れ込んできてもおかしくはない」 ぎょっとして、和草は思わず辺りを見回す。 「当然、お前が無造作に出れば捕まるだろう。俺達に対する人質になり、結果また見捨てられる」 「っ他人事みたいに――!!」 「その通りだ」 「このっ……!」 和草は怒りに身体を震わせた。 その怒りをぶつける力が、自分にないことが悔しかった。この女をひっぱたいて、あのにやついた人殺しを罵倒してから走り去りたい。すぐそこにあると思っていた家に帰りたい。 しかしそんな力を和草は持っていなかった。願っても湧いて出て来ない。 和草はぺたんとその場に座り込んだ。 「帰してよ……」 もう一度繰り返す。 「家に帰してよ。あんた達のせいなんだから、ちゃんと家に帰してよ……!」 恐ろしい。和草は自分が心底怯えていることを自覚している。 人殺し達がすぐ傍にいて、自分の命など歯牙にもかけずに争っている。 「私には関係ないじゃない、戦争なんか、何も関係ないじゃない……ねぇ!」 和草は何もしていない。歩いていただけだ。それなのに、勝手に非日常に放り込まれて、こんなに怖い思いをした。 和草は『W/P』ではないのに。 「なんでこんな目に遭わなきゃいけないの?」 ぶつぶつと、うわごとのように繰り返す。無理もなかった。 「家に帰してよ……!」 帰りたい。理性がすり減って金切り声をあげている。日常に帰りたい。帰りたい! 女は無言だった。和草はアイケアグラスのせいで元の色が解らないその瞳を、気後れしないように睨み付ける。 しばらくの沈黙のあと、どこからか急に声がかかった。 「……なーんかめんどーくさいカンジー?」 いつの間にか、唯一部屋にあった扉が開いていて、その脇の壁に例の男が立っていた。 四分の一が機械で出来た顔。その右目の下、黒い蝶が、男の笑みで歪む。 女は視線を遣りもしないで答えた。 「そう言うな。彼女の言うことにも一理ある」 「一理しかないよー?」 無造作に交わされる会話。 冗談のように、和草の命の価値は此処では軽い。 目が眩んだ。 なんなのだ。なんなのだ。なんなのだこいつ等は。 「……ふざけないで!!」 |
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