和草は放心状態だった。だからその言葉の意味を深く理解する間はなかった。
 黒い男は、淡々と続ける。
 まるで氷で出来ているような、冷たさで。

「嫌いな奴に軽蔑されるのは好き」

 和草は戒史の顔をぼんやりと見上げた。
 暖かみなど欠片もない、貼り付いた笑顔。

「だからこんな事をしてみたりもする」

 戒史は薄笑いを浮かべながら、もう動かない砺波の『W/P』の頭を踏みつけた。見せつけるように。いや、きっと「ように」ではないのだろう。
 ごつ、と、ブーツと頭蓋骨の衝突音が響く。

「こんな事をしてみたりもする」

 和草に突きつけていた銃を足下の死体に向けて、一発、二発。女の躰が跳ねる。湿ったコンクリートに耳障りな音が響く。
 血の臭いは既に飽和状態で、それ以上濃くなることはなかった。

 戒史は和草を見下ろして、嘲るように尋ねる。

「どーんなカンジー?」
「あ……?」

 もう、あまり血も出ない骸。黒髪の女。
 はっ、と急に和草の目に焦点が戻った。さっきまでの茫然自失した姿が一瞬にして消える。

 どんっ

 和草は力を込めて目の前にいる戒史を突き飛ばした。
 逆らわずに、戒史は死体の頭から足を退けた。そして面白がるように和草を見た。

「やめなさいよっ!」

 和草は怒りを込めた目線を戒史に叩きつけるが、そんなことは気にもとめずに戒史は、

「──っ!」

 また、死体の頭の上に足を降ろし、今度は二、三度踏みにじった。煙草の火でも消すように。当然のマナーのように。
 月は、そんな戒史を諌めるでもなく、和草の方をじっと見ている。

「やめ――」
「やめないよー」

 嫌いな奴に軽蔑されるのは好き。
 戒史は嘲笑う。とても、とても楽しそうに。

「だってさー、死体は何もカンジないよー?だってもう死んでんだからさー。死ぬってそーいうコトでしょー?」

 違う?違わないよ。

「悲しんだりするのは、死体じゃない」

 見開いた眼は何も映さない。
 痛みも感じない。

「アンタは、アンタが見てたくないから止めるんだよ。アンタのために、止めるんだ」
「な──」
「ちゃんとわかってるー?俺を止めるすべも無い、非力な非力な、カマトトぶったおじょーさん」

 戒史は歌うように言った。

「アンタにあるのはー、口にするのは簡単なキレイゴトだけー。そーゆー奴、嫌いだねー」

 戒史は相手の顔を見て満足そうに嘲笑する。黒い服の黒い、男。
 しばらくの沈黙の後、和草はしっかりと、真っ直ぐに立って言い返した。
 その手は少し震えていたけれども。

 圧倒的な、狩られる側の小動物にも、譲れない意思はある。

「……じゃあ、あんたは何の為にそんな事してるって言うの?」

 抑えきれない感情が、和草から吹き零れる。

「こんな事して何が楽しいっていうの?言ってみてよ何の為か!人殺しが何の為なのか!死体を辱めるのが何の為か!それが嫌だって思うことの何がいけないのか!!」
「おじょーさん──」

 口を開こうとした戒史を遮り、沈黙を守っていた月が突然言葉を発した。

「――いや、いいんだ」

 闇に染み入る声。それすら、計算しつくされたように美麗だった。
 そしてやはり、冷たかった。

「貴女はそうやって生きてきたんだろうから」

 月は壁から離れて、廊下を歩き始めた。

「月子ちゃーん?」
「お前も、苛め過ぎるな。連れて行くんだろう?」

 不満げな戒史の呼びかけを軽くいなして、月は肩越しに和草振り返った。

「そういう事になった。悪いが少しの間我慢してくれ」

 それから考えて、月は一言付け足した。

「長い間、ということはないだろうから」










にこやかな襲撃者