まるで当然のように、和草(Nagusa)の抗議は却下され続けた。 逃げ出す事など出来るわけがなく、何処だか知らないが元は安宿だったらしい廃墟に押し込められる。しかもその場所に到着するまで、和草はまたもや気絶させられていたのだから、あまりの理不尽さに和草は少し涙ぐんだ。 何しろこいつらのしていることは『戦争』で。 一緒にいるという事は『戦場』にいるという事だ。 何故、と思うのも仕方ないだろう。 けれど、戒史(Kaishi)はただ笑うだけで、月(Yue)は、戒史の気まぐれとしか答を返さない。 この状況では、若い娘は怯えて口も利けなくなるのが普通だ。だが、和草の頭の中は戒史への怒りで一杯で、意地でも屈するものか、と半ばむきになっていた。 彼らに恐怖心を抱いている自分を見ないようにすることで、何とか自制を保つように努力する。 二人が何故和草を連れてきたのかはわからない。けれど、彼らは入れ替わりで部屋を出ていったり、二人とも部屋にいたり、逆にどちらも部屋にいなかったりした。 その間に逃げると言うことも考えたが、月に「下手に戒史を刺激すると死ぬ」、そう真面目に忠告されたので、大人しくしていた。戒史が、あの、笑いながら人を殺す男が、本当にそうするだろうことはわかっていた。 月は『長い間』ではない、と言った。 何故かは知らないけれども、月が嘘をつくことはない、と思う。 わざわざそうする必要もないだろうと思った。彼らにとって、和草は何の脅威にもならない。 「……ねぇ」 窓際に寄りかかって、銃を分解整備している月に話しかけてみる。戒史はいない。 「なんだ」 愛想も表情もなく、部屋の中でもアイケアグラスをかけたままの月が答えた。 視線すらこちらにくれない。 「私……これから、どうなるの?」 聞きたくない気持ちもある。何の為に連れてこられたのかもわからない。 不安だけが募る。叫びだしたい衝動を抑えて、和草はそう問いかけた。 「どんな答を返して欲しいんだ」 和草は、月の表情というものを見たことがない。 窓際に腰掛けて銃の手入れをしている姿は非常に絵になっている。だが、この人も。 綺麗で、冷たい、白い『W/P』。 それでも黒い人殺しよりはましだ。 「長い間ではない。戒史が飽きるか、お前が死んでしまうかすれば、終わりだ」 覚悟していた言葉だ。 だが、和草の心はまだ少しどこかで期待していたらしい。 「…………」 膝を抱えてうつむく和草の姿は、誰が見ても同情を引くだろうものだったが、月は無関心に銃の手入れを続けた。 霧雨は、『戦争』三日目を迎えた今もまだ降り続けている。 「一つ予想しておくなら」 終わったと思った会話はまだ続いていたらしい。 どうせあまり興味の持てない内容だと思い、和草は動かなかった。 「戒史がお前を素直に帰すというわけでもないが」 月は銃をいじる手を止め、窓を開けた。 霧雨混じりの風が部屋に流れ込んで、一気に室温が下がる。 「お前はきっと死なない」 「……何で?」 「予想だ、と言った」 和草は顔を上げて、霧雨の降る向こう側を見た。深く吐いた息は白くなるような気がしたのだが、そうはならなかった。 「それって……慰め?」 「いや」 月は軽く首を振る。 和草は初めて月にちょっとした好感のようなものを抱いた。本当に、少し。本当に本当に、少し。 +++ +++ +++ 「俺さー、今ちょーっと眠いんだけどなー」 「だったら眠らせてやるよ、なあ、カナマ・A・戒史」 二対一。 区画整理がなされていない為に、殊の外行き止まりの多い路地裏に戒史は追い詰められている。物語で言うならおそらく、絶体絶命とでも説明されるのだろう。 けれど戒史は気だるげに突っ立ったまま相手を挑発する。 「アンタら、ソレ、チンピラの台詞だよー」 ジーンズのポケットからディスクを取り出して、手首に。 かちり、と小さな音が響き、戒史の準備は整った。 「んじゃー、ちょーっと遊ぼっかー?」 「言ってろ」 砺波の『W/P』は、嘲りを含めて鼻を鳴らした。 「テメェもさんざ俺らの仲間ぶっ殺してくれたけどな?『A』が一人で行動してどうすんよ?油断しすぎだっつーの」 『A』と『C』が組んで行動することは多い。というより、そうしていない『W/P』などいない筈だ。 索敵と、強襲。サーチ&デストロイ。足りないところを補って、生き延びる。 『A』の役割は近接戦闘ではない為に、尚更一人で出歩く事は無い。 一人だとしても、その感覚を使い他の『W/P』を避けて通るのが定石である。 けれど戒史はまるで無造作にそこに居る。 「な、『鮮血飛月(シェンホンフェイユエ)』は?この前のゲームじゃ、一人で十人殺したってのは、まさかデマだろ?」 「あのさー、そーゆー二つ名、月子ちゃん気に入ってないと思うよー?……ダセェじゃんー?」 戒史の黒い目は爬虫類のそれに酷似している。薄気味悪く、感情の伺えない目だ。 「質問に答えろってんだよ」 「もしかしてもう殺られちまってんの?」 圧倒的有利を確信している相手から投げつけられた台詞に、戒史は吹き出した。 「それってジョークのつもりー?」 「は?」 「アンタらみたいなのに月が殺されるって、ねー?俺頭悪いからさー、全然そーぞーつかないやー」 「……『あんたらみたいなの』とは聞き捨てならねぇな」 砺波の『W/P』の声がワントーン低くなった。彼らの自尊心は、触れられやすい位置にあるのだ。 「若槻の豚ちゃんふぜいがよぉ。何様のつもりだ?」 無精髭を生やした男と、非常に背の高い男。その二人の雰囲気が同時に変わった。 威圧しているつもりなのだろう、極端に目を細めてこちらを睨んで来る。 「そりゃ、無知なテメェら屑共にゃ一生わかんねぇんだろうなぁ。俺らが選ば―――」 「天使に?」 相手の言葉を途中で遮り、戒史は笑った。さも苦しそうに腹を抱えて。 髭面の方が、かっとしたように怒鳴る。 「馬鹿にしてやがんのかっ!?」 「良くわかったねぇー」 戒史は笑いで潤んだ目を拭った。 「はは、スゴいイキモノだよねー?アンタら『特別』だもんねー。選ばれたんだ正しいんだ自分にしか出来ないことがあるんだ――」 また笑いの発作が襲って来たのか、戒史は咳き込んだ。 「わかったよー、アンタはヒーローだ。頑張って自分より弱くて助けが必要な人を救ってあげてちょーだい?」 それが天使の役割なんだろう? ジーンズの後ろポケットに手を伸ばし、戒史は冷たい<キダム>に柔らかく触れる。その指には、奪われるほど熱が残っているわけではない。 戒史は、優しげに唇を吊り上げた。 「俺のいないとこでねー、目障りだから」 +++ +++ +++ 「なんで……あなたはこんな仕事してるの?」 和草は月にそう訊ねてみた。 『W/P』は、世間に決して良く思われていない。その存在の必要性は、理性でしか理解できない。 政府公認の人殺し、それだけでも嫌悪感を覚えるには十分過ぎるのに、『W/P』には性格破綻者が多過ぎる。民間人に対する蔑視と理不尽な暴力、あるいは、そう、戦争に巻き込まれた市民を保護する事もない冷酷さ。 「…………」 月は無言だった。 和草は、軽率なことを言ってしまったかと少し後悔する。でも、何故か、訊きたい。 どうして、月のような人がこんな『戦争』ゲームに参加しようと思ったのか。妥当なところで、罪の免除か金の為なのだろうけれど。 「何故、そんな事を訊く」 無視されたものだとばかり思っていた言葉に返事が返ってきて、和草はどう言ったものかとしばし迷った。 「……気になったから。別に、それだけよ。何か事情があるのかと思って」 迷った末に、正直なところを言ってみた。嘘を吐いても意味がない。人殺しのご機嫌を取る気もない。 月は旧式の煙草を取り出し咥え、火を点けた。和草は、月以外にこんなものを吸っている人間を見たことがない。 軽く一口吸い込んでから、月は口を開いた。 「お前は、俺達に憤っている筈だ」 「私が怒って見せても、悔しいけど意味ないでしょ?……それに、私は貴方を憎んではいないもの」 「戒史が嫌いか?」 「言うまでもないでしょう?あいつも私が嫌いらしいから丁度良いわね」 和草は今度は即答した。嫌悪感が、顔に貼り付いて懸命に自己主張している。 月は溜息のように煙を吐き出した。 「……そうか」 ばん、と音を立てて扉が開き、血の臭いが部屋に流れ込んだ。 「ただいまー」 部屋に入って来た戒史は血塗れで、雨で濡れてしまったのであろう紙袋をベッドの上に放り投げた。 和草は戒史を無視して、蹲ったまま俯いた。拒否の姿勢。 「汚すな」 「はーい」 軽い返事を返しながら戒史はシャワールームへ入っていった。ばたんと閉じた扉に、和草は安堵し無意識に溜息をつく。 月はベッドから紙袋を拾い上ると、和草に渡した。差し出されたものに、和草は疑問の目を向ける。 「何?」 「お前の着替えを探して来たのだろう」 そういえば、自分の服は元は真っ白だったのだ――だが、今は土と血で赤茶色。 その事に気付かずにいた自分にぞっとする。まともな感性が麻痺してきたのではないかと。 何故、平気で話が出来た?何故、気付かなかった?こんな状態を。 怖い。 急激に血の気の引いた和草の顔を窺うこともなく、月は和草にシャワールームが空いたら着替えるように促した。和草はあまり、反応しなかった。 扉を一枚隔てた向こう。 彼女の動悸、発熱、動揺を示す全て──その様を全く正確に理解しながら、けれど戒史は鏡を覗き込んで嘲笑う。 目障りなんだ、よ? 戒史は鏡に拳を叩きつける。軽く、一度、二度。 優しく息の根を止めるように。 シャワーを浴びて、血を落として。髪を拭いてから黒いジーンズをはいて、黒いシャツを羽織って。 けれど、ディスクを再装備するのは止めておいた。戒史には霧雨は煩さ過ぎる。 ――だから、そして……だけど。それでも。 ……目障りなのは、俺だ。 +++ +++ +++ 「可哀想ね、戒史。貴方ってとっても可哀想な人」 「そう?」 「ええ、とても可哀想」 「──」 「……怒った?」 「――よかった」 「どうして……?」 「俺が可哀想なヤツでよかった」 「どうして?」 「それなら独りじゃないからさ」 「……可哀想だと独りじゃないの?」 「うん」 「……」 「だって可哀想じゃないヤツなんていないし、それなら可哀想なヤツの方が仲間が多いだろ?」 「――可哀想ね、貴方」 「そう。だから可哀想な俺を捨てないでね。どこにも行かないでね」 「わかった。――死ぬまで貴方と一緒にいる。可哀想な貴方と」 「そんなこと簡単に言っちゃっていいの?」 「良いのよ」 「後悔するよ」 「何故?」 「だって俺は」 死んだって俺を捨てていくことなど許さないからね。 「だから俺が死ぬときには」 「――――」 「君を殺すよ、可哀想な紗希(Saki)」 +++++ 扉を開く音にさえ、嫌悪感を感じる。 「あれー、具合でも悪いのー?でも人間用の薬はないんだよねー、ごめんねー」 口を利きたくもなく、和草は膝を抱えたまま床を見詰めていた。。 返事が返ってこないのは予想していたのか、戒史はそのまま室内を見回した。 「月はー?」 「…………」 「……月がどこ行ったか位教えてよー」 戒史が一歩でも近寄る度に、和草は背筋が震える気がした。 「ねー。そーゆーの、知っとかないと困るかも知れないでしょー」 「……食料調達に」 「あー、そーいやー忘れてたー。その服サイズ合うかなー、着れないことはないと思うんだけどー。どうー?」 知るものか、と和草は思った。 「ねー。構ってよー」 「あなたは……」 俯いて押し殺すように言葉を紡ぐ。 和草の次の台詞くらい予想がつくだろうに、何故言わせるのか。 「よく平気で私に話しかけられるわね!!」 きっ、と睨み付けた。しかし戒史は気にした風も見せない。 「なーんで話しちゃいけないのさー?」 「……私はあなたが大嫌い!あなたもあたしが嫌いなんでしょう?構わないで」 成る程、と戒史は頷いた。けれどすぐに、肩を竦めた。 「別に、そーんな気にしなくてもさー」 「…………」 何を言っても無駄だと、そう見切り、和草は膝に顔を降ろしてまた戒史を無視し始めた。 「んじゃーさ、覗かないから、向こう行って着替えたらー?気持ち悪いでしょー、そんな血塗れの服ー?」 からかうように言う。耐え切れずに和草はまた顔をあげた。そして凄惨な目つきで戒史を睨む。 怒りを隠す気もない。和草は立ち上がった。 「着替えるわ。……自分の家でね」 これ以上付き合っては居られない。 戒史がそこに居るだけで、和草の精神は磨り潰される。 きっぱりと言い放つ、抵抗宣言。 「……いい加減に帰してよ……そうしてくれないんだったら無理にでも帰るから。……アンタなんかの思い通りになるくらいなら死んだ方がマシだわ」 「死んだ方がマシー。格好良いこと言うねー」 ぺたんと座り込んだまま、戒史はぱちぱちとおざなりな拍手をした。 まるきりの、子供扱い。 和草は死を覚悟で話を切りだしたというのに、全く本気にしていない。 手の震えを止めるために、和草は拳をぎゅっと握りしめた。帰るのだ、絶対に。 「真面目に言ってるのよ。帰して」 「そうだねー」 だんっ!! そんなような音が響いたと思ったその瞬間に、和草の目の前に突如として黒い銃口が出現した。 がうんっ!!! 至近距離で鳴いた銃声に、鼓膜が震える。何かが頬の横を通った。 握った手は、震えもしない。瞬きすら出来ずに、硝煙を上げる銃口を見つめて、和草は凍りついた。 「……真面目にー?」 「ぁ……」 「真面目に、言ったんだってー?」 戒史はまだ熱い銃口を和草の肩に押し付けた。凍った皮膚が火傷をするかと思った。 「でもー、そーんな覚悟できてないっしょー?」 楽しげに降ってきた言葉に思わず頷きそうになる。がたがたと歯の根が震える。 この男の人差し指の動きだけで、自分は死ぬ。 怖い。怖い怖い怖い。この男は──怖い。 「それでも、帰りたいのー?」 震えながら、やっとのことで、和草は首を左右に振った。 「――よく出来ましたー。さ、シャワー浴びておいでー?」 |
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