強い。漠然とではなく、月はそう思った。

「ふ……」

 耳の横を指先が掠める。至近距離での攻防は、神経を疲労させる。
 月の白い髪が空気を叩く。

 がきっ

 手首が痺れ、薄暗い路地裏に火花が飛んだ。

「く……」

 痺れは無視し、ナイフを握った右手首を軽く引く。まともに打ち合うのは不利のようだ。相手の方が力が強い。
 ナイフの刃同士が滑り合い、耳障りな音が響く。

 どっ

 月の回し蹴りを健吾は右肩で受けた。そのまま二、三歩後退したが、お返しとばかりに月の足に肘をいれてくる。

 がっ ぎんっ

 健吾は、引いたナイフを止めずに、また首筋を狙って突き出して来た。
 それをまた、痺れと共に受け止める。

 月が今セットしているディスクは、スピードに重点を置いていた。そのため力では相手の方が勝っており、ナイフで打ち合っても押されて手が滑る。
 刃が触れ合う瞬間に自分から少し後ろに下がることで衝撃を軽減しているが、それでも痺れは残った。下がりっぱなしではいずれ追いつめられることも間違いない。

 すっ

「!」

 月の腕がしなやかに伸びる。

 月は左手で、相手のナイフを持つ右手を掴んで固定した。反応する隙を与えず、伸びきったその腕に、関節の逆方向から膝を入れる。その全てが、ほとんど一瞬。

 ごきゅっ!

 裏側から衝撃を受けた健吾の肘が、曲がった。

 ひゅっ

「っ」

 それを全く気にせず、健吾は月に押さえられたままの右腕を振り切り、伸ばした。月の力では健吾の腕をそのまま押さえておくことが出来ず、ナイフが首筋に迫る。
 切れた白髪と共に鮮血が健吾の顔に飛ぶ。その為相手の動きが一瞬止まった隙を逃さず、月は後方に飛んで逃れた。

「…………」

 月は首筋に手を当てた。ぬる、と滑る血。
 下手をすれば頸動脈が切れていた。

 健吾の方も、折れてしまった右腕を見て渋い顔をしている。

「痛いです」
「同感だ」

 月は目を細めた。

 何処から見ても、健吾は単なるビジネスマンに思える。だがいままでに会ったどの『C』よりも強い。
 そして、腑に落ちないのは、この男が同時に『A』であるということだった。

 ただの虚仮脅しではない。この運動能力は『C』でなければあり得ないし、死角からの攻撃にこれ程反応できるという事は『感覚(SENCE)』があるという事である。

「ああ、コレが不思議ですか?」

 月が、『A』と『C』を抱えた青い翼の天使を見ているのに気付いたのだろう、健吾は首筋を指して言った。

「新技術なんです。流石に、身体の負担は大きいですけどね、オレは成功例でして」
「成功例?」
「砺波では前から研究されてたんですよ、『A』と『C』を兼ね備えた『W/P』。でもそれ、十人中九人くらいは死んじゃうんですよね。耐えきれなくてね」

 相手は左肩と右肘を負傷しているはずなのだが、状況はあまり有利とはいえなかった。『A』の能力がある為、月の攻撃が読まれやすい。鼓動、呼吸の状態を把握されては不利だ。

「オレは、その中でも実践に投入された第一号なんです。だからなるべくいい結果を残したいな、なんて。ほら、月さん達って結構有名ですから。らお手柄ですよね?」
「……お前はそれでいいのか?」
「何がですか?」
「まるで実験動物だ」

 月の言葉に、健吾はきょとんとした表情を作った。

「そうですよ?まさか、それ以外の何だって言うんです」
「それがお前の存在意義なのか?」
「ええ」

 月は溜息を吐くと肉厚の格闘ナイフを握り直した。

「でもみんな、そんなようなものなんでしょう?その中では結構、個性的な生き方かな、なんて」

 健吾は眼鏡に付いた血を拭って、同意を求めるように月を見た。
 月は穏やかにすら聞こえる声で、問った。

「――群れている人間には自分の意志なんざないのか?人とは違うことをすればそれは特別なのか?」

 静かに見つめてくる瞳。
 健吾は僅かに眉をひそめた。

「俺はそうは思わない」
「…………」

 月は手首の挿入口からディスクを取り出し、違うものに付け替えた。直後。

 だんっ

 健吾の視界から月の姿が消えたかと思うと、次の瞬間には目の前にいた。
 目の前に迫る白刃に、とっさに手のひらを出して顔を庇う。
 攻撃が知覚されてしまうなら、それでも避けられないようにすればいい。月は全筋力をスピードに充てていた。

「……っ」

 どっ

 ナイフが、健吾の手のひらに突き刺さる。

「え?」

 六分の一秒。
 次の瞬間には、月の姿は本当に消えていた。健吾の手に痕跡が残っているだけ。

「……逃げましたね」

 苦笑しながら、健吾はナイフを引き抜いた。
 今頃どこかの路地裏で倒れているだろう。筋肉の全力酷使など、五秒もすれば体に破綻を来たす。










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