「く、う……!」

 ぐい、とナイフを潜り込ませた瞬間、戒史が悲鳴を上げた。
 刃先に感じるのは、固い感触。

 筋肉の筋に沿うように、何か金属の線が張り巡らされている。
 強化人工神経。

「あ…………」

 思わず、手を止めてしまう。
 これは解剖と言えばいいのか、解体と言えばいいのか。和草は戸惑い、戒史を見た。

「イーから……続けて……」

 意識が戻ったらしい戒史が、途切れ途切れに言う。和草は、またそっと傷を開いた。

「――……!!」

 声を出さずに、戒史は喉を震わせる。全身の筋肉に力が入っているのがわかる。刃が肉に挟まれ、自由に動かせない。
 斬られるのなら、一瞬だ。しかしこうやって少しずつ少しずつ、切られていくのは拷問にも似たものがあるだろう。

 握りしめた戒史の拳に、血が伝っている。爪で手のひらが傷ついたのだろうか。

(上手く見えない……)

 和草は焦っていた。後から後から溢れてくる血で、傷口が覆われてしまうのだ。大体、こんないい加減に体を開いていいのか?二、三本は導線を切った。『A』の機能に障害は?しかし弾は取り出さなければ――

(……これ!?)

 肉や筋、細い金属とは違う感触が、刃先に触れたような気がした。

(でも、どうやって取り出すの……?)

 感触はあったが、見えない。ナイフでの摘出は、かなり難しいだろう。
 そうしている間にも、開いた傷口から血がこぼれていく。

「ごめん………!」

 和草は唇をかみしめると、ガラス瓶を掴み、アルコールを右手に降りかけた。
 傷口に指先を押し込む。

「う、ぅああああぁあああぁあぁぁっっ!」

 ぐちゃ、と生理的に嫌な音が響き、戒史は絶叫した。直後、その身体から力が抜ける。

 気絶したらしい。和草は素手で掴みだした弾をその辺に放り投げると、傷口に包帯をあてた。苦労して戒史の身体を起こす。
 戒史を壁にもたれさせると、和草はその傷口にしっかりと包帯を巻いていった。

 自分の手のあまりの赤さは、無視した。

(本当に、大丈夫なの……?)

 こんな適当な、手当とも呼べない処置。確実に悪影響があるだろう、とあせりながら思う。
 しかし今、和草が出来る限りのことはやったのだ。後は――

「……どうしたらいいの?」

 今更ながら、また恐怖が襲ってきた。血に濡れた両手は、まだ乾かない。
 こんな時に、敵に見つかったらひとたまりもない。

 どうして自分は逃げないのだろう、と思った。何でこの男を放って、このまま逃げないのだろう、と思った。

(それは、帰りたい……けど)

 和草はぶんぶんと頭を振った。そんなことよりも。

(放っておけないじゃない!)

 こんな状態の人間を見捨てて逃げるなど、出来るわけがなかった。可哀想だ、そうだ、これは同情なのだろう。

 戒史の呼吸は荒い。傷の具合が良くないのは簡単に予想がつく。
 和草はぽつりと、今度は声に出して呟いた。

「放っておけないじゃない……」

 何故かだかわからないけれど、和草は戒史を置いては帰れなかった。
 嫌いなのだ、それなのに――

 左手の平の蝶が疼く。





+++ +++ +++





「……俺、どれくらい寝てたー?」

 いつもと同じ、飄々としたその言い草に、和草ははっきりとした安堵の溜息を吐いた。
 戒史の目がゆっくりと開けられる。

「そんなには。五分かそこらじゃないかしら」

 戒史は朦朧としているのか、二三度まばたきした。
 そして、傷口に手を当てて確認する。そこには、和草の手で不器用に包帯が巻かれていた。

「ふーん。で、アンタは」

 戒史は酷く冷たい目で和草を見、立ち上がった。
 思わず和草は手を伸ばす。

「ちょっと、まだ動いちゃ……」
「なんで此処にいるのー?」

 和草はびくりと身を震わせた。そろそろと戒史の目を見上げる。
 突き刺すような視線だった。固く、冷たい。

「何故って」
「……何で、逃げなかったの」

 酷く無機質な声。本物の機械を相手にしているような気分になる。冷たいその温度。
 和草の背に、ぞくりと悪寒が走る。

「だってあなた私を庇って、そんな怪我」
「――成る程ー。だったら……」

 何かを納得したように戒史は頷くと、落ちていた銃を拾い上げた。がしゃ、とその塊の安全装置が外されるのを、和草は呆然と見送る。
 遊底を引く、その手。
 自分に向けられたその銃口が、信じられなかった。

「アンタは、俺にとって邪魔だって事だ」

 戒史の、その指が引き金にかかる光景がゆっくりと脳に浸透する。

 信じたくなかった。
 戒史は、笑いもしないまま、和草にこう言った。懇願するようにも聞こえた。

「死んでね」





+++ +++ +++





 どがっ がうんっ

 微妙に重なった、二つの濁音。戒史の身体は滑り込んできた人物に吹き飛ばされて、路上に転がった。
 狙いを外された弾は、和草の身体に食い込むことなく路上に虚しいその音を響かせる。

 戒史の鳩尾に右拳を叩き込んだばかりの月は、取り落とされた戒史の銃を拾い、彼が気絶したことを確認した。
 和草はまだ呆然として、動かない。

「なん、で……?」

 本気だった。戒史は本気で和草を殺そうとした。
 和草の震える唇から、勝手に言葉が漏れる。

「──良く解らない」

 月は軽々と戒史の身体を担ぎ上げた。
 戒史が和草にしたように、荷物のように肩の上へ。

「戒史は時々、情緒不安定になる」

 和草の身体が、がたがたと震えだした。しかしそれは恐怖のせいではなく、むしろ哀しみがその顔には浮かんでいる。
 裏切られた、と。

「血の臭いと跡が残りすぎている。移動しなければならない」
「……何でよ」

 和草は戒史を見つめたまま、立ち上がる気配も見せずに呟いた。
 その瞳には、激しい憎悪さえ浮かんでいた。

「何で、私を殺す、の?」

 絶対にそんなことはしないと思っていた。それは奇妙な確信。
 彼は、絶対に、しない筈。それなのに──冷たい指で引き金を引いた。

「…………」

 和草は、今度は月に向かって問いかけた。

「なんで……何で助けて、くれたの?」
「それは」

 月は一瞬逡巡したようだった。
 銃器の入ったバッグを担ぎ上げ、和草に向き直る。

「……お前は信じないかも知れないが」

 抑揚のない声だったが、月はきちんと和草に伝えた。

「戒史は、本当はお前を殺したくないのではないかと、そう思ったんだ」










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