「わかってるんだったら……殺されないようにしてよ」

 俯いたまま、戒史はベッドに爪を立てた。

「俺に殺されないようにしてよ。俺の邪魔、しないでよ」

 ざりざりと耳障りな音がして、マットレスに爪の跡がつく。

「俺の前に立たないで。俺に触らないで。俺のやってること見て、俺のこと軽蔑しても良いから、ねぇ。……殺されないで」

 黄色いスポンジが露出する。月は立ち上がらず、そのままの体勢でグラスを拾った。

「ゴミを見るような目で見て、俺を蔑んでも構わないよ。でも、俺の道を塞がないで。俺に殺されないで……!」

 それは何の抑揚もない声だったが、月には確かに悲鳴に聞こえた。
 熱で朦朧としているのだろうか、マットレスを引っ掻きながら戒史が何度も譫言のように繰り返す。

 月は無言でそれを見ていた。

 黄色い屑がひっきりなしに生産されていくその過程で、彼の衝動がわかるのかも知れない。
 ――もう、いい、と、月はそう思った。

「お前は」

 月はグラスを掛け直すと戒史の腕を掴んで、その動作を止めさせた。戒史の爪が強い力で月の肌に食い込み、少しだけ血が流れる。

「俺に、その覚悟がないと思っているのか」

 望むなら、いくらでも邪魔してやろうと、月はそう思っている。
 あの時、戒史が和草を殺すのを止めさせたように。いくらでも、戒史が望むなら。

「じゃあ、許してよ……」

 ぽつりと、戒史が唇から言葉をこぼした。

「信じる者は救われるんだよー?別に天使にじゃないけどねー……だから、月が許してよ」
「何がしたい。言ってみろ」

 戒史の腕から手を離し、月はベッドに腰掛けた。

「許せと言うなら言ってみろ。……お前はそれが自分の致命的な弱点を暴露することだと思っているんだろう。自分を見せることをしないで騙し続けたいんだろう?」
「……」
「お前は酷く冷酷な顔をする時もあるし、人を傷つけることもする。無意味な殺人もする……俺はそんな事実については何も言わない。何を許して欲しいんだ、言ってみろよ」
「……信じるのか」

 俯いた戒史はベッドに落ちていた月の銃を拾い上げた。重いそれを、指先で弄ぶ。
 呻きながら、戒史は縋るように言った。

「俺を信じるの?月にだって見せたくないコトくらいあるだろ?いー加減な言葉を使って誤魔化すのは簡単だから、俺、嘘つくかもよ?全部テキトーにかわして、ヤバくなったら」

 戒史は顔をあげて月の顔を見た。

「関係ないって切り捨てる」

 全てをそうやって捨てていけば、悩みすらなくなっていく事を月は知っている。
 けれど、幸せにはなれない。

「そんな俺が言うことを許せるか?」

 少し縋るような光が戒史の瞳にはあったのかもしれない。諦めることに慣れ、期待する事に疲れてなお、少しだけ残っていたもの。

 それに月は一言で答えた。

「俺が許すのはそれじゃない」

 言葉の真意が掴めなかったか、戒史が沈黙した。
 月は抑揚のない声で付け足した。

「嘘を吐きたいなら吐けばいい。汚れたいなら、それもいい」

 決めるのは、月ではない。



お前がそれを許すなら・・・・・・・・・・、それは自由だ。どんなことも」



「関係ないと言うのは簡単だ。他人になら傷などつかない。目の前で死のうが狂おうが、壁一枚隔てた世界だ。何も感じないだろう?そう思い込んでいれば……『関係ない』……でもそれは違う、おそらく」

 月は戒史の手から<フェヴラル・イ>を受け取った。二月の名を持つ銃。月が、何度目か己を名付けたあの日。

 かちり、と安全装置を外ず音。

「俺は此処にいるし」

 引き金に指をかける。

「お前も幻ではない」

 きゅんっ!!

 甲高い音。戒史の頬に血が飛んだ。

「撃てば血も出る」

 右手に大きな風穴を開け、それから月は、何事もなかったかのように安全装置をかけ直した。
 戒史がゆっくりと頬に手を当てる。そして付着した月の血を、拭った。

「現実だろう」

 月の手から流れ出る血で、マットレスは尚更汚れた。鮮やかな赤色に浸食される錆びた黄土色。

「その事に意味など無いか?全てが無駄だと言うか?他の誰でもない、お前のことだ。考えろ」

 戒史はまだ黙っていた。

「人に見せたくないものなど、誰でも持っている。自分だけが『特別』苦しい訳ではない――これは、お前の言葉だろう」










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