「嫌よ、絶対に!!」
「……紗希」
戒史は紗希の薬指から、指輪を抜き取った。自分の手からも、指輪を引き抜く。
「嫌だっ!!」
紗希が、指輪を取り返そうと半狂乱でその腕にしがみつく。
戒史はそれを振り払った。
「もう、遅いよ」
「っ!!」
冷たく宣告する戒史の声。紗希は渾身の力を込めて、戒史の胸を叩いた。
「―――酷い!絶対に、嫌!!」
戒史は苦笑すると、紗希を抱き寄せた。胸の中に収まる体。
離したくなかった。そして、顔を見られたくもなかった。
「貴方はずっと一緒にいるって言った……!そうでないなら私を殺すって言ったわ!!」
「そうだよ?だから俺の知ってる──俺を知ってる君を殺す」
戒史は凄絶なくらい、無表情だった。
「君が飲んだのはね……強い、暗示の薬。あんまり使うと死ぬくらい、強力」
効果は、戒史には手に取るように解っている。その通り、死ぬほど飲まされた事があるのだから。
「後少し……最後くらい、笑って別れようよ」
「嫌だ!!!!」
紗希は戒史の腕をふりほどこうと暴れた。
「お願いだから……最後くらい」
戒史は紗希を折れるほど抱きしめた。
彼女の代わりに、自分が覚えているから。生きていてくれるなら、何でもする。
「最後くらい……!」
かすれる声で、戒史は囁いた。
「そろそろだね……」
自分の死刑宣告を、自分でしているのだ。笑えすぎて、涙が出てくる。
戒史は紗希の耳元に、こう吹き込んだ。
「俺と君は出会わなかった」
紗希の躰が震え、悲鳴が漏れる。戒史は彼女の息が止まるくらい、抱きしめた。
「俺と君は話さなかった」
紗希の力が弱まる。
「俺と君は触れあわなかった」
紗希の首がうなだれる。
「……俺は君を愛さなかった……!」
紗希は、最後の力を振り絞って、叫んだ。
「愛してる!愛してる愛してる愛してる!!この気持ちが……無くなるなんて!」
「────」
「嫌!!」
戒史は、無情に言葉を綴った。
「――君は俺を愛さなかった」
戒史は金の髪に口付けると、紗希をそっとベッドに横たえた。何も映さない瞳を、じっと見つめる。これが、最後だった。
「…………ごめんね」
戒史は、暖炉の中に自分の指輪を投げ入れた。銀の蝶は炎の中に、消える。
足音を立てずに、部屋を出て。
扉を、閉めた。
「……………………」
そこまでだった。
戒史は壁に沿ってずるずると崩れ落ちた。
左手で、顔を覆う。
離れるくらいなら死んだ方がまし。
でも、彼女が死ぬくらいなら──苦しんで狂う方がまだまし。
「…………愛してる」
泣き声だけは、あげたくなかった。
(――ああ、でも。これからはもう、泣くことなんてない。きっと)
泣けなくなるのだ。
(だって、おれにはだれもいない)
紗希は、渾身の力を込めて、ベッドから落ちた。感じたこともないような睡魔が、襲ってくる。
気絶しそうになりながら、紗希は床を這った。一瞬でも気を抜けば、そのまま戻っては来れない。
最後の力を込めて、左手を伸ばす。
じゅぅっ
肉の焦げる音がした。痛みのおかげで、まだ動ける。
「忘れない……」
暖炉の中。手探りで探し当てたそれを。しっかりと握りしめる。
つんざくような痛み。手が燃えている。しかし、肉体の痛みはもはやどうでもよかった。
「絶対に……忘れない!!」
焦げた銀の蝶は、紗希の左の手のひらに、手術でも消えない痕を残した。
紗希の意識は、それから闇に落ちた。